婆さんの繰り言 ●管理者用
 



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No.96 呆れ返って物が言えない!パートX
 
2006/09/28 (Thu)
母が、まだ生きていた頃。
母は車酔いが酷く、タクシーでの通院も難しかった。
心臓が苦しくなるので外出そのものが駄目だった。
ま、我儘な人ではあったのだが医者には行けず医者は必要不可欠だった。
そんな時(今と違って訪問看護の制度の無い頃だつた)共産党系の個人の医師で往診してくれると言うので飛びついた。

2〜3年は通ってもらったと思うが定かではない。
だが、何回か来ている内には母の性格も解ってくるわけで、具合が悪いからと電話しても中々来てくれなくなって行った。
薬は貰っていてニトログリセリンというのが常備薬だった。

それでも段々効きが悪くなってきて、徐々に病気は進行していって段々危なくなって来たので、其の医師は立川に有る共産党系の病院への入院を勧めた。
その時私達は二人暮らしで吉祥寺に住んでいて、駅からも遠く立川迄の電車の距離も遠かった。
すでに私は足が不自由で電車で立川なんかに行ける状態ではなかつたし、助からないとは解っていたし、母子生き別れになってしまうのは嫌だったから立川への入院は断った。

一応定期的には往診してくれていての或る夜母の状態が悪くなり、電話で往診を求めると「だから入院しろと言ったんだ。言う事を聴かなかったのだから仕方がない。勝手にしろ」と言った。
救急車を呼んで運ばれた病院も酷くて仮病だと言われたが、その夜に死んだ。
担当医師が病歴の申し送りでもしてくれていたら、仮病とまでは言われなかったのではないかと思う。
ただ、私も母も其の日母が死を迎えるとは感じていたので、往診してくれなかったから死んだとは思っていない。
仮病だと決め付けられて切なかったものの、変に延命されるよりは良かったのかもは知れなかった。

母は其の日、運び込まれたその病院でこう言った。
「千日照って一日足りないって本当だわね。あたしは今日あんたにお風呂に入れて貰ってから逝こうと思ってたのよ」と。

母は足の悪い私を残して逝きたくなかつたようで「残して死ねない、一緒に死のうよ」と泣きながらそう言った。
だが時を選んで言わなかったために側にとんちきな看護婦が立っていたから、そいつがすかさずこう言った。
「お婆ぁちゃん他人を巻き込んじゃ駄目ですよ」と。
私は一緒に逝っても良かったのだし、他人呼ばわりされたくなかったわよ。
他人だったのだから。
でも、あの段階で戸籍までは解らない筈だから彼女の言葉に根拠は無かっただろう。
しかし母は私がそう言ったと思ったかも知れなかった。
今でも悔やまれてならない。
でも、人前で「うん、一緒に逝こうね」とは答えられなかった、止められるから・・・。

しかし、あの時「一緒に逝こう」と泣いた母はいまだに迎えにも来ないし化けて出てもくれない。
迎えを待ち焦がれてもいないが、逢えるのなら逝ってもいいんだけどなぁ・・・。


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